①ショパン国際ピアノ・コンクールの歴史第1回から第3回

コンクール設立の背景

・第一次世界大戦終戦 1918年(大正7年)、ポーランドが国家として独立を回復、グナツィ・ヤン・パデレフスキ(1860年– 1941)が首相に就任、芸術・文化省を置く。→民族意識の高揚。

フリデリク・ショパン音楽学校教授のイェジ・ジュラヴレフJerzy Żurawlewがフランス音楽と考えられていたショパンの音楽をポーランドに取り戻して愛国心を鼓舞しようと考え、サッカーの試合をモデルにしてコンクールの創設を考案。

ポーランド楽派の流れ

ショパン(1810-1849)

弟子:カロル・ミクリ(1821-1897)

孫弟子:アレクサンデル・ミハウォフスキ

(1851-1938)

・ワルシャワ音楽協会主催

・ショパン高等音楽院校長、ワルシャワ音楽協会会長ヴィトルド

・マリシェフスキが審査委委員長、ショパン高等音楽院教授を中心  

 に実行委員会・審査員が組織される。

ショパンの孫弟子の更に弟子の世代がショパン高等音楽学校の教授に

ショパンの孫弟子の更に弟子の世代がショパン高等音楽学校の教授に

lユゼフ・トゥルチンスキJozéf Turczyński

l校長ヴィトルド・マリシェフスキWitold Maliszewskiワルシャワ音楽協会会長

lビグニェフ・ジェヴィエツキbigniew Drzewiecki

第一回大会1927年1月第1回大会開催8か国26人参加

ピアノ:スタインウェイ、ベヒシュタイン、ベーゼンドルファー、

プレイエル

1位 レフ・オボーリン ソ連

2位 スタニスワフ・シュピナルスキ  ポーランド

ドミトリー・ショスタコーヴィチが参加、入賞せず

第2回大会1932年3月開催18か国89人参加(200人以上が応募)

ピアノ:スタインウェイ、ベヒシュタイン、ベーゼンドルファー、プレイエル

1位 アレクサンダー・ウニンスキー パリ

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2位 イムレ・ウンガール(ハンガリー)

3位 ボレスラフ・コン(ポーランド)https://www.youtube.com/watch?v=WvoqBE2DXuA&list=RDWvoqBE2DXuA&start_radio=1

4位 アブラムルーフェル(ソビエト)

3回大会アジアからはじめて原智恵子と甲斐美和が参加

第3回大会と第4回大会の間に第二次世界大戦開戦

1942年開催予定の第4回大会は延期

第4回大会 1949年9月~10月(ショパン没後100周年)

開催

14か国 54人参加

フィルハーモニーホールが壊滅したため、ローマ会館ホールを使用

 

第1位ハリーナ・チェルニー=ステファンスカ (ポーランド)

第1位ベラ・ダヴィドヴィチ (ソビエト)

第2位 バルバラ・ヘッセ=ブコフスカ (ポーランド)

ショパン国際ピアノ・コンクールの歴史
優勝すればスターに

第5回大会 1955年2月~10月2月から3月にかけて開催)

開催

14か国 54人参加

フィルハーモニーホール再建

第1位 アダム・ハラシェヴィチ (ポーランド)

第2位 ウラディーミル・アシュケナージ (ソビエト)

第3位 ー・ツォン 中国

第10位 田中希代子DVD『ワルシャワの覇者第27巻「アダムアダム・ハラシェヴィチ ショパンを語る」

第6回大会 1960年2月~2月~3月にかけて開催(ショパン生誕150年)

開催

30か国 77人参加

フィルハーモニーホール再建

第1位 マウリツィオ・ポリーニ (イタリア)

第2位 イリーナ・ザリツカヤ (ソビエト)

日本人  小林仁 池田洋子、井内澄子

第7回大会 1965年~10月に開催(この年から10月開催に、誕生日⇒命日)

28か国 80人参加

第1位 マルタ・アルゲリッチ (アルゲリッチ)

第4位 内中村紘子 (日本)

第8回大会 1970年から10月に開催(この年から10月開催に、誕生日⇒命日)

28か国 80人参加

第1位 ギャリック・オールソン (アメリカ合衆国)

第2位 内田光子 (日本)

第9回大会 1975年~10月に開催

30か国 128人参加

第1位 クリスティアン・ツィメルマン (ポーランド)

第10回大会 1980年10月に開催

30か国 128人参加

第1位 ダン・タイ・ソン (ベトナム)

第5位 海老彰子 (日本)

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