日本初の「ショパン弾き」澤田柳吉

日本では、明治期から「ショパン弾き」と呼ばれたピアニストがいた。それは、澤田柳吉というピアニストである。

澤田柳吉(1886-1936)

 明治19年3月19日生(先行研究では3月13日)

 昭和11年9月16日没(京都にて脳溢血により死去)

澤田柳吉の音楽活動の概要は以下の通り。

明治35年(16歳) 東京音楽学校器楽部予科に仮入学

明治36年(17歳) 東京音楽学校本科器楽部に入学

明治39年(20歳) 東京音楽学校本科器楽部を卒業

  選抜の卒業演奏会に出演(ベートーヴェン作曲 ソナタ》op14 No.1

  在学中にショパンのワルツを演奏、卒業後も研究科・聴講科に残る

  女子音楽学校の教員としてピアノ教授

明治40年(21歳) 卒業後すぐに演奏活動を開始

            伴奏者としてレコード録音多数

明治42年(23歳) 台湾に音楽教師として赴任

明治43年(24歳) 調和楽として楽譜を出版。以降多くの作品を出版する 

明治45年(26歳) 華族会館にて日本人としてはじめてピアノリサイタルを行う

卒業式記事『音樂新報』第3巻7号(明治39年)

東京音楽学校の卒業式では久野ひさ、川久保美須々と共に、ピアノ演奏者に選出されて、ベートーヴェン作曲《ピアノソナタ》作品14-1を演奏

明治40年日本楽器創立10周年記念

東京音楽学校卒業の翌年、明治40年日本楽器創立10周年記念に来賓として招かれ、ベートーヴェン作曲《ピアノソナタ》作品27-2「月光」を演奏。


澤田の演奏への評価

 ショパンの名について、直ちに聯想するのは、吾が樂界の澤田柳吉氏である。と云ふのは、氏の性格がショパンに似てゐると云ふ意味でもなく、また氏の作品が彼と共通點を有してゐると云ふ意味でもない。ただ氏の演奏的態度が彼の作品と頗るよく融和してゐるからである。數年前「鮮麗なるワルツ」Valse brillante の演奏に接したときは、いまだ大なる感興を誘はなかつたけれども、「幻想即興樂」Impromptu fantastique を聽くに及んで私は茲に切實なる同化を味ひ得たのであつた。同時に私は吾が樂界に於いてショパンを解するもの、只氏あるのみだとまで思つた。

(筑紫三郎「ショパン印象録」『音楽界』第2巻第2号、明治42年2月、pp.21-22)

『音樂界』第5巻2号
明治45年日本人としてはじめてリサイタルを行う

作曲も積極的に行なった。

雑誌『音楽新報』第3巻1号掲載作品(明治39年1月)

雑誌『音楽新報』第3巻11号(明治39年11月)

雑誌『音楽新報』第4巻5号(明治40年5月)

松本楽器合資会社の広告『音樂界』第3巻第10号(明治43年)

彼は邦樂にも通じていたので、よく長唄や地唄のメロディーをテーマにして、ヴァリエーションを作ったり、それに日本風のハーモニーをつけたりして、これを和洋調和樂と稱していた。卒業してからも、ずッとそれをつづけ、このうちの數種類は出版されておる。「越後獅子」「十日夷(ママ)」「春雨」などがそれである。彼は日本のメロディーには日本風の獨特のハーモニーを附けなければならぬという意見を有し頻りに研究していた。彼は此の點に於て、たしかに先覺者の一人といってよい。

 「調和楽」(小松耕輔 1952 『音楽の花ひらく頃-わが思い出の樂壇』東京:音楽之友社:18)

《調和楽 越後獅子》明治45年1月出版(多田個人蔵)

調和楽 元禄花見踊》大正4年10月出版(多田個人蔵)

シェーンベルクやスクリャービンの作品も日本人初演した

大正3年11月14日、神田青年会館「近代楽大演奏会」プログラム(多田個人蔵)

アレクサンドル・スクリャービン Alexandre Scriàbine(1872-1915)1897(明治30)年出版《24のプレリュード》Op.11の第4番ホ短調、第11番ロ長調

アルノルト・シェーンベルク Arnold Schönberg(1874-1951) 1913(大正 2)年に出版《6つのピアノ小品》Op.19の第3番から第6番の‘Sehr langsame- Rasch aber leicht- Etwas Rasch- Sehr langsam’ 速度標語がほぼ一致する

セルゲイ・ラフマニノフ Sergei Rachmaninov(1873-1943)1893年(明治26)年出版《プレリュード》Op.3 No.2 嬰ハ短調

この作品は、以降、澤田のレパートリーとなる

自動ピアノのピアノ・ロールを製作

音楽界』第六巻第八号(大正2年8月発行)山葉自動ピアノ広告

明治45(1912)年に第1号と第2号を発売、昭和初期まで製造

85鍵用《越後獅子》(多田個人蔵)

《雪は巴》(多田個人蔵)

《蛍の光ヴァリエーション》(多田個人蔵)

セノオ楽譜も数多く出版

セノオ楽譜No.11《麗はしき天然》大正5年4月出版

セノオ楽譜No.12《お江戸日本橋》大正5年4月出版竹久夢二がこの作品ではじめて表紙画を描く

セノオ楽譜No.113《もしや逢ふかと》大正7年12月出版

竹久夢二が表紙画に加えて作詞も担当

セノオ楽譜No.114《雪の扉》大正8年1月出版

声明を五線譜化

『浄土宗法要式 洋式音譜附』表紙、附言、奥付(多田純一個人蔵)大正12年2月27日出版

最初の《ピアノ・ソナタ》録音

令和4年11月に小山内洋氏によって「テストプレス盤(マザー原盤)」が発見

《悲愴ソナタ》第2楽章、第3楽章SPレコード未出版

最初のショパン作品の録音

大正12年12月出版、《ポロネイズ》「軍隊」

お伽歌劇でもショパンの作品を演奏

お伽歌劇《瘤とり》、SPレコード(多田個人蔵)

《月光ソナタ》全楽章を録音・出版

大正14年1月出版《月光ソナタ》全楽章

(久野ひさによる同作品は死後に追悼の意味を持って大正15年2月に出版)

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