音楽の部屋

  • ショパンコンクールのプログラムは、今ではポーランド国立フリデリク・ショパン研究所のウェブサイトでも購入することができる場合もありますが、

    基本的にコンクールの会期内に会場でのみ販売されます。

    過去のプログラムはワルシャワの古書店などを探し歩く以外に入手の方法はありません。古書サイトもほとんどの場合国際郵便に対応していません。そのため、私はワルシャワに行く度に、古書店を探し回り、ポーランドの古書サイトで日本で購入しておき、ワルシャワのホテルに宿泊する際にホテルの住所と滞在期間を記して、ホテルで受け取るという方法でプログラムを集めました。本ブログでは、私が集めたプログラムを順に紹介していきます。

    ⑥ショパンコンクールの歴史第17回(2015年)

    ピリオド楽器・ショパンコンクール

    この第17回は、開催前から韓国のチョ・ソンジンが優勝候補として名前が挙げられていた。

    実際に彼の演奏を聴いてみると、第一次予選から頭ひとつ飛びぬけていたと記憶している。テクニックはもちろんのこと、ペダリングの上手さが際立っていた。作品の隅々まで楽譜を読み込み、ショパンのペダリングが深く考察されたことが伝わった。

    とても若いのに、若さだけでなく、すでに巨匠のような貫禄もあった。

    個性的なピアニストが多い中、「これぞショパン弾き」というような演奏をしたのがシャルル・リシャール=アムランである。彼が奏でる音のあたたかさ繊細さは群を抜いていた。アムランとは正反対の強さをアピールしたのはロシアのドミトリー・シシキンだった。

    ダン・タイ・ソン門下の活躍はこの頃から顕著となる。

    瞑想的でありながらも、確実なテクニックを披露したケイト・リウ。

    若いながらも明るさと繊細さを兼ね備えたエリック・ルー、

    天才肌のイーケ・(トニー・)ヤン。

    日本人では、幼少期からその才能が高く評価されてきた小林愛実さんが彼等と戦って無事にファイナリストになった。

    第一次予選と大二次予選を聴いて、チョ・ソンジンは優勝するだろうけど、それ以外の予想は出来ない、と思った。

    この回では、リ・ユンディが審査員に加わったが、寝坊したり(遅刻した日は、審査員達が苦笑しながら寝ているジェスチャーをしていた)、友人の結婚式で途中欠席したりするなど、ありえない行動で、物議をかもした。

    結果は

    第1位が 予想通りチョ・ソンジン、

    アムランは第2位だった。

    第3位ケイト・リウ、第4位エリック・ルー、第5位イーケ・(トニー・)ヤン、第6位ドミトリー・シシキンと続く。

    期待された小林愛実さんはファイナリストのみで入賞なし。

    「「ショパン的」か、個性的か、という単純な構造だけでなく、日本人参加者に対する厳しすぎる評価も、この時期に感じたことである。

    第17回のプログラム

    ピリオド楽器コンクールでは、ピアノの選択と選曲が合っているか、ショパンの時代の演奏様式にいかに近づくか、ショパンが書いたヴァリアントをいかに自然に表現、するか、ということにはじまり、さまざまな楽器の《響かせ方、など、多角的な視点で審査されますから、現代のピアノで演奏する伝統的なショパン・コンクールとは全く違います。しかし、即興的な前奏や「つなぎ」、装飾音の付加など、あらゆる点で、ショパン演奏の真髄とは何か、ということを一から考え直す良い機会となります。

    楽器の音も現代のピアノのように多きくありませんから、自然と耳を澄まして聴くことになります。第1回ピリオド楽器コンクールでは、第1位がポーランドのトマシュ・リッテル、第2位が、日本の川口成彦氏となり、ファイナリストのミトリー・アブロギンを含め、ピリオド楽器奏者で争われました。川口成彦氏がこのコンクールで第2位に入賞し、その後、日本各地でピリオド楽器による演奏会を開催したことにより、それまでは日本では聴く機会が少なかったピリオド楽器の演奏が、日本でも一気に増えました。筆者も川口成彦氏の演奏によってピリオド楽器の魅力を知った聴衆の一人です。

    第2回は、ピリオド楽器奏者よりも現代のピアノを弾くピアニストの参加が多く、第1回とは全く違う様相となりました。

    筆者は第2回を現地で聴きましたが、現代のピアノを弾くピアニストが、ピリオド楽器の取り扱いを勉強してコンクールに挑む姿勢に感銘を受けました。楽器の取り扱い、響かせ方は、もちろんピリオド楽器奏者の方が上手いですが、ピリオド楽器奏者ほど暗譜に弱かったり、大きな事故を起こす傾向がありました。現代のピアノを弾くピアニストはコンクールに慣れているからか、暗譜の不安を感じさせないですし、単純にテクニックはピリオド楽器奏者よりも上です。

    結果として、第1位は現代のピアノを弾くピアニストの一人、エリック・グオ、第2位は両方を弾きこなすポーランドのピオトル・パヴラク、第3位はアンジー・チャンとヨンフアン・チョン、唯一のピリオド楽器奏者ファイナリストのマルティン・ヌバウアーは入賞せず、という結果になりました。

    この結果に不満を感じた方も多かったようですが、短期間の準備でピリオド楽器を弾きこなしたエリック・グオの優勝に私は納得しました。ピリオド楽器コンクールとはいえ、やはり「ショパン」という作曲家の名前を冠したコンクールですから、奇抜さよりも、まずはショパン弾きを求めていると思われます。

    エリック・グオは、必要の範囲内でショパンのヴァリアントを選択して、深く楽譜を読み込んでいることを示しましたし、ファイナルの《ピアノ協奏曲》でも素晴らしいアンサンブル力を発揮しました。結局のところは「総合的なバランス」が評価されたように思います。

    しかしこのコンクールはまだ2回しか行われていません。

    第3回、第4回と続いていく中で、何が求めているのかが分かってくるのだと思います。

  • ショパンコンクールのプログラムは、今ではポーランド国立フリデリク・ショパン研究所のウェブサイトでも購入することができる場合もありますが、

    基本的にコンクールの会期内に会場でのみ販売されます。

    過去のプログラムはワルシャワの古書店などを探し歩く以外に入手の方法はありません。古書サイトもほとんどの場合国際郵便に対応していません。そのため、私はワルシャワに行く度に、古書店を探し回り、ポーランドの古書サイトで日本で購入しておき、ワルシャワのホテルに宿泊する際にホテルの住所と滞在期間を記して、ホテルで受け取るという方法でプログラムを集めました。本ブログでは、私が集めたプログラムを順に紹介していきます。

    ⑤ショパンコンクールの歴史第16回(2010年)

    ピリオド楽器・ショパンコンクール

    ショパンコンクールが「ショパン弾きを輩出したいのか、優れたピアニストを輩出したいのか、その基準がわかりづらくなったのは、この第16回からである。2010年はちょうどショパンの生誕200年の記念年であり、主催者がショパン協会から、ポーランド国立フリデリク・ショパン研究所に代わった。

    ワルシャワの街中に、ショパンの音楽が流れる椅子が設置され、コンクール会場では、毎日無料でCDが無料配布された。このCDを揃えるために、毎日列に並び、抜けた日の分をもらったりしていたのは懐かしい想い出だ。

    第16回は、ポーランドのチケットサイトで座席を選んでウェブ購入することができ、比較的楽にチケットが入手できた。そしてなんと、チケットを購入すると、ポーランドからチケットが国際郵便で送られてきた。

    同じインターネット販売でも、Pdfの電子チケットとなった現在とは違う。チケットを手にした時の喜びは、やはり現物があってこそだと思う。

    ショパンの生誕200年を祝うこの第16回にも、

    日本人の聴衆はとても多く、日本人は17名が予選に参加した。日本人審査員は小山実稚恵さん。

    審査員全体は大きく変わらず、アンジェイ・ヤシンスキ、マルタ・アルゲリッチ、ダン・タイ・ソン、ベラ・ダヴィドヴィチ、フィリップ・アントルモン、ネルソン・フレイレ、アダム・ハラシェヴィチ、ピョートル・パレチニとそうそうたる顔ぶれが並ぶが、審査員長がカタジーナ・ポポヴァ=ズィドロンに代わった。

    ポポヴァ=ズィドロンは前回第15回の優勝者であるブレハッチを育てた人物であり、第二世界大戦後に追い求められ、確立した「ショパン的」な演奏を熟知しているはずである。

    しかしながら、1948年生まれで審査員長を務めるにはとても若い。それだけに、感覚も新しいのかもしれない。

    第16回は第一次予選の結果発表から、???と思わずにいられなかった。まず、日本人で第二次に進出したのは、6名のみ、直前のロン=ティボー国際で第5位及び聴衆賞を受賞した佐野隆哉さんは第一次予選敗退でディプロマ受賞。素晴らしい演奏をしたエリック・ズベーも第一次予選敗退となった。エリック・ズベーが大二次予選に進出しなかった理由が分からなかったので、いろんな人に意見を聞いたところ、審査員のひとりが、「彼はスケルツォでペダリングを間違った」と話したと教えてくださった。この第16回はロシア勢が強く、第一次予選から、ユリアンナ・アヴデーエワ、ルーカス・ゲニューシャス、ダニール・トリフォノフが光っていた。特に議論されたのは、アヴデーエワか、インゴルフ・ヴンダーのどちらが「ショパン的」か、ということであった。その議論をして、エリック・ズベーが大二次予選に進出しなかったことに憤慨していた私の耳は、従来の「ショパン的」な演奏を追い求めていたので、ハラシェヴィチの弟子であり、彼の音楽が感じられるヴンダーこそが絶対に優勝すると信じていた。

    蓋を開けると、第1位:ユリアンナ・アヴデーエワ、第2位:ルーカス・ゲニューシャス、第2位:インゴルフ・ヴンダー、第3位:ダニール・トリフォノフ、第4位:エフゲニー・ボジャノフという結果で、私は自分のショパン演奏への感じ方、考え方を考えなおさなければならなかった。この頃から、ショパンコンクールで求められる「ショパン的」な演奏というものがわかいづらくなったように思う。ボジャノフのように奇才すぎてもダメ。日本人のように優等生過ぎてもダメ。いったいどうすればよいのだろうか。アヴデーエワ、ゲニューシャス、トリフォノフと並べると、確かに素晴らしいピアニストである。しかし、「ショパン弾き」ではない。近年の審査基準のわかりづらさの典型例をこの第16回の結果に見られるように思う。

    第16回のプログラム

    優勝者アヴデーエワのページ

    第2位インゴルフ・ヴンダーのページ

    無料配布されたCD

    ピリオド楽器コンクールでは、ピアノの選択と選曲が合っているか、ショパンの時代の演奏様式にいかに近づくか、ショパンが書いたヴァリアントをいかに自然に表現、するか、ということにはじまり、さまざまな楽器の《響かせ方、など、多角的な視点で審査されますから、現代のピアノで演奏する伝統的なショパン・コンクールとは全く違います。しかし、即興的な前奏や「つなぎ」、装飾音の付加など、あらゆる点で、ショパン演奏の真髄とは何か、ということを一から考え直す良い機会となります。

    楽器の音も現代のピアノのように多きくありませんから、自然と耳を澄まして聴くことになります。第1回ピリオド楽器コンクールでは、第1位がポーランドのトマシュ・リッテル、第2位が、日本の川口成彦氏となり、ファイナリストのミトリー・アブロギンを含め、ピリオド楽器奏者で争われました。川口成彦氏がこのコンクールで第2位に入賞し、その後、日本各地でピリオド楽器による演奏会を開催したことにより、それまでは日本では聴く機会が少なかったピリオド楽器の演奏が、日本でも一気に増えました。筆者も川口成彦氏の演奏によってピリオド楽器の魅力を知った聴衆の一人です。

    第2回は、ピリオド楽器奏者よりも現代のピアノを弾くピアニストの参加が多く、第1回とは全く違う様相となりました。

    筆者は第2回を現地で聴きましたが、現代のピアノを弾くピアニストが、ピリオド楽器の取り扱いを勉強してコンクールに挑む姿勢に感銘を受けました。楽器の取り扱い、響かせ方は、もちろんピリオド楽器奏者の方が上手いですが、ピリオド楽器奏者ほど暗譜に弱かったり、大きな事故を起こす傾向がありました。現代のピアノを弾くピアニストはコンクールに慣れているからか、暗譜の不安を感じさせないですし、単純にテクニックはピリオド楽器奏者よりも上です。

    結果として、第1位は現代のピアノを弾くピアニストの一人、エリック・グオ、第2位は両方を弾きこなすポーランドのピオトル・パヴラク、第3位はアンジー・チャンとヨンフアン・チョン、唯一のピリオド楽器奏者ファイナリストのマルティン・ヌバウアーは入賞せず、という結果になりました。

    この結果に不満を感じた方も多かったようですが、短期間の準備でピリオド楽器を弾きこなしたエリック・グオの優勝に私は納得しました。ピリオド楽器コンクールとはいえ、やはり「ショパン」という作曲家の名前を冠したコンクールですから、奇抜さよりも、まずはショパン弾きを求めていると思われます。

    エリック・グオは、必要の範囲内でショパンのヴァリアントを選択して、深く楽譜を読み込んでいることを示しましたし、ファイナルの《ピアノ協奏曲》でも素晴らしいアンサンブル力を発揮しました。結局のところは「総合的なバランス」が評価されたように思います。

    しかしこのコンクールはまだ2回しか行われていません。

    第3回、第4回と続いていく中で、何が求めているのかが分かってくるのだと思います。

  • ショパンコンクールのプログラムは、今ではポーランド国立フリデリク・ショパン研究所のウェブサイトでも購入することができる場合もありますが、

    基本的にコンクールの会期内に会場でのみ販売されます。

    過去のプログラムはワルシャワの古書店などを探し歩く以外に入手の方法はありません。古書サイトもほとんどの場合国際郵便に対応していません。そのため、私はワルシャワに行く度に、古書店を探し回り、ポーランドの古書サイトで日本で購入しておき、ワルシャワのホテルに宿泊する際にホテルの住所と滞在期間を記して、ホテルで受け取るという方法でプログラムを集めました。本ブログでは、私が集めたプログラムを順に紹介していきます。

    ④ショパンコンクールの歴史第15回(2005年)

    ピリオド楽器・ショパンコンクール

    第15回のプログラム

    優勝者ブレハッチのページ

    私がショパン・コンクールを現地で鑑賞したのは、2005年に開催された第15回が最初である。

    当時は、今のように事前情報が豊富ではなく、収集力もなかったので、この回では有力なポーランド人がいる、という程度の予備知識であった。

    私にとってのはじめてのヨーロッパ旅行、はじめてのポーランドであった。

    コンクールのチケットの入手方法が分からなかったので、お世話になっているヴァイオリニストの方にチケットの入手をお願いした。

    チケットは渡航前に入手できたのではなく、コンクール初日にフィルハーモニーホールの〇〇氏を訪ねよ、というミッションからはじまった。飛行機はウィーン経由

    オーストリア航空、ホテルはホール近くのメトロポル。

    アジアのリゾート地くらいしか海外旅行の経験がなく、ろくに英語も話せない私には高すぎるハードルだったように思う。

    チケットを仲介してくださったヴァイオリニストの方から、「きちんとした身なりで行くように」と何度も念押しされたので、スーツとまではいかないけれど、きちんとネクタイを締め、ジャケットを着て、フィルハーモニーホールかった。言われた通りに表玄関ではなく、ヤスナ通りの事務所の入り口から入り、受付でパスポートを見せ、私が会う予定になっている方のお名前と部屋番号を伝えると、部屋は受付のすぐ前にある。不意打ちに驚きつつ、ドキドキする鼓動を感じながら部屋をノックすると、恐らく秘書と思われる女性が待っていた。ひかえていたメモを見せながらとりあえず思いつく言葉をすべて伝えると、チケットが入っているらしき封筒を取り出して見せてくださった。チケット代を手渡し、封筒をもらうと、まずはいったん気持ちを整えるために外に出て、表玄関の方へ向かった。ホールに入って封筒を開けると、チケットの束が入っていた。自分がショパン・コンクールのチケットを手にしていることがなんだか信じられなくて、近くにいた警備員さんにチケットを見せると、入るように言われた、とりあえずホールには入ってみたものの、次はどの階段を上がればよいのかも分からない。仕方なくチケットを手に持ってウロウロしていると、親切そうなお兄さんが話しかけてくれ、「そのチケットは上だよ」と案内しつつ、一緒に歩いてくれた。2階席のフロアまで上がった時は、まだ演奏中なので弾き終わったら入れると言って、一緒に待ってくれた。私は自分が持っているチケットがどのあたりの席なのかも見当がつかなかったので、中に入るまでは、お兄さんを引き留めておくことにした。カフェでコーヒーを買って一緒に飲んで中に入るタイミングを待った。

    オクターヴの《エチュード》が終わり、ようやく入る時間となった。お兄さんは座席まで案内してくれ、私の座席は審査員席のすぐ後ろのあたりだった。審査員席には、私にとっての神様、最高の「ショパン弾き」ある、ダム・ハラシェヴィチがいる。私はついに夢にまで見たフィルハーモニーホールの自分の席に座った。まだ夢の中にいるみたいで、しばらくは演奏が耳に入ってこなかった。お城のように美しいホールをまじまじと見まわしながら、「ついにショパン・コンクールに来た!」と感動していた。私が最初に聴いたのは、ベン・キムだったと記憶している。この回は課題曲が大きく変更され、第一次予選の課題曲は、《エチュード》、《ノクターン》、《ワルツ》(いずれも抜粋から選曲)《プレリュード》を含み、40-45分のハーフプログラムを構成する、という内容だったので思いのほか楽しく聴くことができた。この回からヤン・エキエル校訂『ナショナル・エディション』が推奨楽譜として選定された。しかしながら、《エチュード》作品10-3「別れ曲」をある参加者が『ナショナル・エディション』に示されたヴァージョンで演奏した瞬間、審査員席では審査員同士が顏を見合わせ、客席もざわついた。審査員も意外と勉強していないものなんだな、と思った。

    当時

    私は2003年に修士論文を提出したばかりで、まだこれから1本目の論文を書こうとしていた時期だったこともあり、身体の動きと指使いに特に興味があった。チェック日本でプリントアウトし持参し、チェックシートを記入しながら演奏を聴いていた。ポーランド人の身体はあまり動かないが、身体の小さなアジア人ほど動きが大きい。ヤツェク・コルトウスの演奏を聴いて、ポーランド人の演奏とはこういうものか、と納得し、イム・ドンヒョクの確実な演奏を聴いて驚いた《エチュード》作品10-1でもクリアな音で傷なし。ドンヒョクの演奏が終わると、ハラシェヴィチが立ち上がって人差し指を立て「これだ」という感じのしぐさをした。工藤奈帆美レイチェルさん、永野光太郎さん、根津理恵子さん、佐藤卓史さん、佐野隆哉さん、関本昌平さんの演奏を聴いて、日本人のレベルの高さが嬉しくなった。工藤さんは、若くフレッシュな音とダイナミックさが際立っていた。根津さんの《ロンド》作品16を聴いて、ポーランドに留学して本格的に学ぶと、こういうポーランド人的な歌い方ができるのか、と感嘆した。関本さんは、背筋がしっかり伸びているのに、なぜか1曲1曲バレリーナのように大きく手を挙げて回して弾き終える。「変なの」、と思って見ていたけれど、それから何年か経って、その動きが「ピティナ弾き」と呼ばれるものであることを知った。初めて見た時から「変なものは変」なのだった。佐藤さんは、素晴らしい打鍵レベルで、お手本のような演奏だった。個人的に佐野さんの端正な演奏が好きだったので、必ず入賞して欲しいと思った。驚いたのは、山本貴志さん、まるでピアノの中に入っていくかのように、上半身が大きく動く。それなのに、演奏はとても繊細で美しい。プログラムがAからのアルファベット順になって、最初に感動したのは、ポーランド人のピオトル・バナシクだった。そのふたり後に、ラファウ・ブレハッチが登場した。私のチケットは第一次予選の通しチケットだったので、毎日、隣の席のおばあさんと感想を言い合っていた。私のチケットもおばあさんのチケットも同じ紫色だった。それは現地価格のチケットであることを意味していた。外国人用は緑色だった。現在はチケットの色は同じだが、チケットの色から違っている時代もあったのだ。彼女の名前はエヴァという。エヴァはブレハッチが登場する前に、「私は半世紀近くもショパン・コンクールに通っているのよ。今回の優勝者はブレハッチだから良く聴いてね。我々はポーランド人の優勝を30年も待ったのよ!30年も!!」と力説したので、私も姿勢を正して聴くしかなかった。確かに今日は空席がなく満席なっている。そして、ブレハッチは期待通りに素晴らしい演奏をした。なんとなく、ハラシェヴィチの演奏に似ている気がした。16分音が明瞭で、ポーランド的なリズムと、美しい音色で、優勝候補の名に相応しいと思った。ポーランドの伝統を受け継いでいる。

    恐らくその翌日か二日後にスタニスワフ・ジェヴィエツキが演奏したのだが、凄い人気で、ホールは超満員になった。ステージに立った瞬間からスター性を感じせ、そのスター性に負けないだけのテクニックと繊細さから、もしかすると、こっちが優勝するかも、と私は思った。第一次予選がすべて終了した日、私はエヴァと待ち合わせて結果発表を聞きに行った。はじめてのショパン・コンクールで結果発表を聞くという経験ができたのは、幸運だったとしか言いようがない。エヴァに感謝。

    一次予選の結果を知って、永野さんと佐野さん、ジェヴィエツキの前がなかったので、がっかりしてしまった。

    エヴァはブレハッチが無事に通過していたので満足そうにしていた。

    伝統的なショパン演奏を追い求めるのはこの時期くらいまでだったように思う。

    私にとってのショパン・コンクール現地鑑賞の初体験はあっという間に、しかし、とても充実して終わり、帰国してから毎日配信を視た。今のようにスムーズで良い音ではなく、すぐに止まったり固まったりしていたが、それでも当時はそんなものだと思っていたし、あの会場の雰囲気を思い出しながら観られるだけで満足していた。

    優勝はブレハッチ、2位はイム・ドンヒョクと予想していたが、

    蓋を開けると、優勝はエヴァの言ったとおりにブレハッチだった。

    しかし、2位はなし。

    イム・ドンヒョクとイム・ドンミン姉弟が同じ第3位

    第4位入賞が関本昌平さんと山本貴志さんで日本人が分け合った。

    12名のファイナリストには、工藤奈帆美レイチェルさんと根津理恵子さんが入り、日本人の健闘がうれしかった。けれども、この結果はあまりにも出来すぎではないだろうか。

    イム・ドンミンが2位、山本貴志さんが3位でもよかったはずだ。ファイナリストに留まったソン・ヨルムは入賞してもおかしくない演奏だった。

    伝統的なショパン演奏を追い求めるのはこの時期くらいまでだったように思う。

    その価値観で聴いていればよかった。

    ピリオド楽器コンクールでは、ピアノの選択と選曲が合っているか、ショパンの時代の演奏様式にいかに近づくか、ショパンが書いたヴァリアントをいかに自然に表現、するか、ということにはじまり、さまざまな楽器の《響かせ方、など、多角的な視点で審査されますから、現代のピアノで演奏する伝統的なショパン・コンクールとは全く違います。しかし、即興的な前奏や「つなぎ」、装飾音の付加など、あらゆる点で、ショパン演奏の真髄とは何か、ということを一から考え直す良い機会となります。

    楽器の音も現代のピアノのように多きくありませんから、自然と耳を澄まして聴くことになります。第1回ピリオド楽器コンクールでは、第1位がポーランドのトマシュ・リッテル、第2位が、日本の川口成彦氏となり、ファイナリストのミトリー・アブロギンを含め、ピリオド楽器奏者で争われました。川口成彦氏がこのコンクールで第2位に入賞し、その後、日本各地でピリオド楽器による演奏会を開催したことにより、それまでは日本では聴く機会が少なかったピリオド楽器の演奏が、日本でも一気に増えました。筆者も川口成彦氏の演奏によってピリオド楽器の魅力を知った聴衆の一人です。

    第2回は、ピリオド楽器奏者よりも現代のピアノを弾くピアニストの参加が多く、第1回とは全く違う様相となりました。

    筆者は第2回を現地で聴きましたが、現代のピアノを弾くピアニストが、ピリオド楽器の取り扱いを勉強してコンクールに挑む姿勢に感銘を受けました。楽器の取り扱い、響かせ方は、もちろんピリオド楽器奏者の方が上手いですが、ピリオド楽器奏者ほど暗譜に弱かったり、大きな事故を起こす傾向がありました。現代のピアノを弾くピアニストはコンクールに慣れているからか、暗譜の不安を感じさせないですし、単純にテクニックはピリオド楽器奏者よりも上です。

    結果として、第1位は現代のピアノを弾くピアニストの一人、エリック・グオ、第2位は両方を弾きこなすポーランドのピオトル・パヴラク、第3位はアンジー・チャンとヨンフアン・チョン、唯一のピリオド楽器奏者ファイナリストのマルティン・ヌバウアーは入賞せず、という結果になりました。

    この結果に不満を感じた方も多かったようですが、短期間の準備でピリオド楽器を弾きこなしたエリック・グオの優勝に私は納得しました。ピリオド楽器コンクールとはいえ、やはり「ショパン」という作曲家の名前を冠したコンクールですから、奇抜さよりも、まずはショパン弾きを求めていると思われます。

    エリック・グオは、必要の範囲内でショパンのヴァリアントを選択して、深く楽譜を読み込んでいることを示しましたし、ファイナルの《ピアノ協奏曲》でも素晴らしいアンサンブル力を発揮しました。結局のところは「総合的なバランス」が評価されたように思います。

    しかしこのコンクールはまだ2回しか行われていません。

    第3回、第4回と続いていく中で、何が求めているのかが分かってくるのだと思います。

  • ショパンコンクールのプログラムは、今ではポーランド国立フリデリク・ショパン研究所のウェブサイトでも購入することができる場合もありますが、

    基本的にコンクールの会期内に会場でのみ販売されます。

    過去のプログラムはワルシャワの古書店などを探し歩く以外に入手の方法はありません。古書サイトもほとんどの場合国際郵便に対応していません。そのため、私はワルシャワに行く度に、古書店を探し回り、ポーランドの古書サイトで日本で購入しておき、ワルシャワのホテルに宿泊する際にホテルの住所と滞在期間を記して、ホテルで受け取るという方法でプログラムを集めました。本ブログでは、私が集めたプログラムを順に紹介していきます。

    ③ショパンコンクールの歴史」第10回から第12回

    ピリオド楽器・ショパンコンクール

    10回

    第10回大会プログラム

    第10回優勝者ダン・タイ・ソン

    第11回

    第11回大会プログラム

    第11回優勝者 スタニスラフ・ブーニン

    第12回

    第12回大会プログ

    第12回 最高位 ケヴィン・ケナー

    ピリオド楽器コンクールでは、ピアノの選択と選曲が合っているか、ショパンの時代の演奏様式にいかに近づくか、ショパンが書いたヴァリアントをいかに自然に表現、するか、ということにはじまり、さまざまな楽器の《響かせ方、など、多角的な視点で審査されますから、現代のピアノで演奏する伝統的なショパン・コンクールとは全く違います。しかし、即興的な前奏や「つなぎ」、装飾音の付加など、あらゆる点で、ショパン演奏の真髄とは何か、ということを一から考え直す良い機会となります。

    楽器の音も現代のピアノのように多きくありませんから、自然と耳を澄まして聴くことになります。第1回ピリオド楽器コンクールでは、第1位がポーランドのトマシュ・リッテル、第2位が、日本の川口成彦氏となり、ファイナリストのミトリー・アブロギンを含め、ピリオド楽器奏者で争われました。川口成彦氏がこのコンクールで第2位に入賞し、その後、日本各地でピリオド楽器による演奏会を開催したことにより、それまでは日本では聴く機会が少なかったピリオド楽器の演奏が、日本でも一気に増えました。筆者も川口成彦氏の演奏によってピリオド楽器の魅力を知った聴衆の一人です。

    第2回は、ピリオド楽器奏者よりも現代のピアノを弾くピアニストの参加が多く、第1回とは全く違う様相となりました。

    筆者は第2回を現地で聴きましたが、現代のピアノを弾くピアニストが、ピリオド楽器の取り扱いを勉強してコンクールに挑む姿勢に感銘を受けました。楽器の取り扱い、響かせ方は、もちろんピリオド楽器奏者の方が上手いですが、ピリオド楽器奏者ほど暗譜に弱かったり、大きな事故を起こす傾向がありました。現代のピアノを弾くピアニストはコンクールに慣れているからか、暗譜の不安を感じさせないですし、単純にテクニックはピリオド楽器奏者よりも上です。

    結果として、第1位は現代のピアノを弾くピアニストの一人、エリック・グオ、第2位は両方を弾きこなすポーランドのピオトル・パヴラク、第3位はアンジー・チャンとヨンフアン・チョン、唯一のピリオド楽器奏者ファイナリストのマルティン・ヌバウアーは入賞せず、という結果になりました。

    この結果に不満を感じた方も多かったようですが、短期間の準備でピリオド楽器を弾きこなしたエリック・グオの優勝に私は納得しました。ピリオド楽器コンクールとはいえ、やはり「ショパン」という作曲家の名前を冠したコンクールですから、奇抜さよりも、まずはショパン弾きを求めていると思われます。

    エリック・グオは、必要の範囲内でショパンのヴァリアントを選択して、深く楽譜を読み込んでいることを示しましたし、ファイナルの《ピアノ協奏曲》でも素晴らしいアンサンブル力を発揮しました。結局のところは「総合的なバランス」が評価されたように思います。

    しかしこのコンクールはまだ2回しか行われていません。

    第3回、第4回と続いていく中で、何が求めているのかが分かってくるのだと思います。

  • ショパンコンクールのプログラムは、今ではポーランド国立フリデリク・ショパン研究所のウェブサイトでも購入することができる場合もありますが、

    基本的にコンクールの会期内に会場でのみ販売されます。

    過去のプログラムはワルシャワの古書店などを探し歩く以外に入手の方法はありません。古書サイトもほとんどの場合国際郵便に対応していません。そのため、私はワルシャワに行く度に、古書店を探し回り、ポーランドの古書サイトで日本で購入しておき、ワルシャワのホテルに宿泊する際にホテルの住所と滞在期間を記して、ホテルで受け取るという方法でプログラムを集めました。本ブログでは、私が集めたプログラムを順に紹介していきます。

    ②ショパンコンクールの歴史第5回から第9回大会

    ピリオド楽器・ショパンコンクール

    ショパンコンクールのプログラムは、今ではポーランド国立フリデリク・ショパン研究所のウェブサイトでも購入することができる場合もありますが、

    基本的にコンクールの会期内に会場でのみ販売されます。

    過去のプログラムはワルシャワの古書店などを探し歩く以外に入手の方法はありません。古書サイトもほとんどの場合国際郵便に対応していません。そのため、私はワルシャワに行く度に、古書店を探し回り、ポーランドの古書サイトで日本で購入しておき、ワルシャワのホテルに宿泊する際にホテルの住所と滞在期間を記して、ホテルで受け取るという方法でプログラムを集めました。本ブログでは、私が集めたプログラムを順に紹介していきます。

    第5回大会のプログラム表紙と優勝者アダム・ハラシェヴィチのページ

    第6回大会

    第6回大会のプログラム表紙

    第6回大会優勝者マウリツィオ・ポリーニのページ

    第7回大会のプログラム表紙

    第7回大会優勝者マルタ・アルゲリッチのページ

    第7回大会第4位入賞中村紘子のページ

    第8回のプログラム

    優勝者ギャリック・オールソンのページ

    ピリオド楽器コンクールでは、ピアノの選択と選曲が合っているか、ショパンの時代の演奏様式にいかに近づくか、ショパンが書いたヴァリアントをいかに自然に表現、するか、ということにはじまり、さまざまな楽器の《響かせ方、など、多角的な視点で審査されますから、現代のピアノで演奏する伝統的なショパン・コンクールとは全く違います。しかし、即興的な前奏や「つなぎ」、装飾音の付加など、あらゆる点で、ショパン演奏の真髄とは何か、ということを一から考え直す良い機会となります。

    楽器の音も現代のピアノのように多きくありませんから、自然と耳を澄まして聴くことになります。第1回ピリオド楽器コンクールでは、第1位がポーランドのトマシュ・リッテル、第2位が、日本の川口成彦氏となり、ファイナリストのミトリー・アブロギンを含め、ピリオド楽器奏者で争われました。川口成彦氏がこのコンクールで第2位に入賞し、その後、日本各地でピリオド楽器による演奏会を開催したことにより、それまでは日本では聴く機会が少なかったピリオド楽器の演奏が、日本でも一気に増えました。筆者も川口成彦氏の演奏によってピリオド楽器の魅力を知った聴衆の一人です。

    第2回は、ピリオド楽器奏者よりも現代のピアノを弾くピアニストの参加が多く、第1回とは全く違う様相となりました。

    筆者は第2回を現地で聴きましたが、現代のピアノを弾くピアニストが、ピリオド楽器の取り扱いを勉強してコンクールに挑む姿勢に感銘を受けました。楽器の取り扱い、響かせ方は、もちろんピリオド楽器奏者の方が上手いですが、ピリオド楽器奏者ほど暗譜に弱かったり、大きな事故を起こす傾向がありました。現代のピアノを弾くピアニストはコンクールに慣れているからか、暗譜の不安を感じさせないですし、単純にテクニックはピリオド楽器奏者よりも上です。

    結果として、第1位は現代のピアノを弾くピアニストの一人、エリック・グオ、第2位は両方を弾きこなすポーランドのピオトル・パヴラク、第3位はアンジー・チャンとヨンフアン・チョン、唯一のピリオド楽器奏者ファイナリストのマルティン・ヌバウアーは入賞せず、という結果になりました。

    この結果に不満を感じた方も多かったようですが、短期間の準備でピリオド楽器を弾きこなしたエリック・グオの優勝に私は納得しました。ピリオド楽器コンクールとはいえ、やはり「ショパン」という作曲家の名前を冠したコンクールですから、奇抜さよりも、まずはショパン弾きを求めていると思われます。

    エリック・グオは、必要の範囲内でショパンのヴァリアントを選択して、深く楽譜を読み込んでいることを示しましたし、ファイナルの《ピアノ協奏曲》でも素晴らしいアンサンブル力を発揮しました。結局のところは「総合的なバランス」が評価されたように思います。

    しかしこのコンクールはまだ2回しか行われていません。

    第3回、第4回と続いていく中で、何が求めているのかが分かってくるのだと思います。

  • ショパンコンクールのプログラムは、今ではポーランド国立フリデリク・ショパン研究所のウェブサイトでも購入することができる場合もありますが、

    基本的にコンクールの会期内に会場でのみ販売されます。

    過去のプログラムはワルシャワの古書店などを探し歩く以外に入手の方法はありません。古書サイトもほとんどの場合国際郵便に対応していません。そのため、私はワルシャワに行く度に、古書店を探し回り、ポーランドの古書サイトで日本で購入しておき、ワルシャワのホテルに宿泊する際にホテルの住所と滞在期間を記して、ホテルで受け取るという方法でプログラムを集めました。本ブログでは、私が集めたプログラムを順に紹介していきます。

    ⑭日本初の「ショパン弾き」澤田柳吉

    ピリオド楽器・ショパンコンクール

    日本では、明治期から「ショパン弾き」と呼ばれたピアニストがいた。それは、澤田柳吉というピアニストである。

    澤田柳吉(1886-1936)

     明治19年3月19日生(先行研究では3月13日)

     昭和11年9月16日没(京都にて脳溢血により死去)

    澤田柳吉の音楽活動の概要は以下の通り。

    明治35年(16歳) 東京音楽学校器楽部予科に仮入学

    明治36年(17歳) 東京音楽学校本科器楽部に入学

    明治39年(20歳) 東京音楽学校本科器楽部を卒業

      選抜の卒業演奏会に出演(ベートーヴェン作曲 ソナタ》op14 No.1

      在学中にショパンのワルツを演奏、卒業後も研究科・聴講科に残る

      女子音楽学校の教員としてピアノ教授

    明治40年(21歳) 卒業後すぐに演奏活動を開始

                伴奏者としてレコード録音多数

    明治42年(23歳) 台湾に音楽教師として赴任

    明治43年(24歳) 調和楽として楽譜を出版。以降多くの作品を出版する 

    明治45年(26歳) 華族会館にて日本人としてはじめてピアノリサイタルを行う

    卒業式記事『音樂新報』第3巻7号(明治39年)

    東京音楽学校の卒業式では久野ひさ、川久保美須々と共に、ピアノ演奏者に選出されて、ベートーヴェン作曲《ピアノソナタ》作品14-1を演奏

    明治40年日本楽器創立10周年記念

    東京音楽学校卒業の翌年、明治40年日本楽器創立10周年記念に来賓として招かれ、ベートーヴェン作曲《ピアノソナタ》作品27-2「月光」を演奏。


    澤田の演奏への評価

     ショパンの名について、直ちに聯想するのは、吾が樂界の澤田柳吉氏である。と云ふのは、氏の性格がショパンに似てゐると云ふ意味でもなく、また氏の作品が彼と共通點を有してゐると云ふ意味でもない。ただ氏の演奏的態度が彼の作品と頗るよく融和してゐるからである。數年前「鮮麗なるワルツ」Valse brillante の演奏に接したときは、いまだ大なる感興を誘はなかつたけれども、「幻想即興樂」Impromptu fantastique を聽くに及んで私は茲に切實なる同化を味ひ得たのであつた。同時に私は吾が樂界に於いてショパンを解するもの、只氏あるのみだとまで思つた。

    (筑紫三郎「ショパン印象録」『音楽界』第2巻第2号、明治42年2月、pp.21-22)

    『音樂界』第5巻2号
    明治45年日本人としてはじめてリサイタルを行う

    作曲も積極的に行なった。

    雑誌『音楽新報』第3巻1号掲載作品(明治39年1月)

    雑誌『音楽新報』第3巻11号(明治39年11月)

    雑誌『音楽新報』第4巻5号(明治40年5月)

    松本楽器合資会社の広告『音樂界』第3巻第10号(明治43年)

    彼は邦樂にも通じていたので、よく長唄や地唄のメロディーをテーマにして、ヴァリエーションを作ったり、それに日本風のハーモニーをつけたりして、これを和洋調和樂と稱していた。卒業してからも、ずッとそれをつづけ、このうちの數種類は出版されておる。「越後獅子」「十日夷(ママ)」「春雨」などがそれである。彼は日本のメロディーには日本風の獨特のハーモニーを附けなければならぬという意見を有し頻りに研究していた。彼は此の點に於て、たしかに先覺者の一人といってよい。

     「調和楽」(小松耕輔 1952 『音楽の花ひらく頃-わが思い出の樂壇』東京:音楽之友社:18)

    《調和楽 越後獅子》明治45年1月出版(多田個人蔵)

    調和楽 元禄花見踊》大正4年10月出版(多田個人蔵)

    シェーンベルクやスクリャービンの作品も日本人初演した

    大正3年11月14日、神田青年会館「近代楽大演奏会」プログラム(多田個人蔵)

    アレクサンドル・スクリャービン Alexandre Scriàbine(1872-1915)1897(明治30)年出版《24のプレリュード》Op.11の第4番ホ短調、第11番ロ長調

    アルノルト・シェーンベルク Arnold Schönberg(1874-1951) 1913(大正 2)年に出版《6つのピアノ小品》Op.19の第3番から第6番の‘Sehr langsame- Rasch aber leicht- Etwas Rasch- Sehr langsam’ 速度標語がほぼ一致する

    セルゲイ・ラフマニノフ Sergei Rachmaninov(1873-1943)1893年(明治26)年出版《プレリュード》Op.3 No.2 嬰ハ短調

    この作品は、以降、澤田のレパートリーとなる

    自動ピアノのピアノ・ロールを製作

    音楽界』第六巻第八号(大正2年8月発行)山葉自動ピアノ広告

    明治45(1912)年に第1号と第2号を発売、昭和初期まで製造

    85鍵用《越後獅子》(多田個人蔵)

    《雪は巴》(多田個人蔵)

    《蛍の光ヴァリエーション》(多田個人蔵)

    セノオ楽譜も数多く出版

    セノオ楽譜No.11《麗はしき天然》大正5年4月出版

    セノオ楽譜No.12《お江戸日本橋》大正5年4月出版竹久夢二がこの作品ではじめて表紙画を描く

    セノオ楽譜No.113《もしや逢ふかと》大正7年12月出版

    竹久夢二が表紙画に加えて作詞も担当

    セノオ楽譜No.114《雪の扉》大正8年1月出版

    声明を五線譜化

    『浄土宗法要式 洋式音譜附』表紙、附言、奥付(多田純一個人蔵)大正12年2月27日出版

    最初の《ピアノ・ソナタ》録音

    令和4年11月に小山内洋氏によって「テストプレス盤(マザー原盤)」が発見

    《悲愴ソナタ》第2楽章、第3楽章SPレコード未出版

    最初のショパン作品の録音

    大正12年12月出版、《ポロネイズ》「軍隊」

    お伽歌劇でもショパンの作品を演奏

    お伽歌劇《瘤とり》、SPレコード(多田個人蔵)

    《月光ソナタ》全楽章を録音・出版

    大正14年1月出版《月光ソナタ》全楽章

    (久野ひさによる同作品は死後に追悼の意味を持って大正15年2月に出版)

    ピリオド楽器コンクールでは、ピアノの選択と選曲が合っているか、ショパンの時代の演奏様式にいかに近づくか、ショパンが書いたヴァリアントをいかに自然に表現、するか、ということにはじまり、さまざまな楽器の《響かせ方、など、多角的な視点で審査されますから、現代のピアノで演奏する伝統的なショパン・コンクールとは全く違います。しかし、即興的な前奏や「つなぎ」、装飾音の付加など、あらゆる点で、ショパン演奏の真髄とは何か、ということを一から考え直す良い機会となります。

    楽器の音も現代のピアノのように多きくありませんから、自然と耳を澄まして聴くことになります。第1回ピリオド楽器コンクールでは、第1位がポーランドのトマシュ・リッテル、第2位が、日本の川口成彦氏となり、ファイナリストのミトリー・アブロギンを含め、ピリオド楽器奏者で争われました。川口成彦氏がこのコンクールで第2位に入賞し、その後、日本各地でピリオド楽器による演奏会を開催したことにより、それまでは日本では聴く機会が少なかったピリオド楽器の演奏が、日本でも一気に増えました。筆者も川口成彦氏の演奏によってピリオド楽器の魅力を知った聴衆の一人です。

    第2回は、ピリオド楽器奏者よりも現代のピアノを弾くピアニストの参加が多く、第1回とは全く違う様相となりました。

    筆者は第2回を現地で聴きましたが、現代のピアノを弾くピアニストが、ピリオド楽器の取り扱いを勉強してコンクールに挑む姿勢に感銘を受けました。楽器の取り扱い、響かせ方は、もちろんピリオド楽器奏者の方が上手いですが、ピリオド楽器奏者ほど暗譜に弱かったり、大きな事故を起こす傾向がありました。現代のピアノを弾くピアニストはコンクールに慣れているからか、暗譜の不安を感じさせないですし、単純にテクニックはピリオド楽器奏者よりも上です。

    結果として、第1位は現代のピアノを弾くピアニストの一人、エリック・グオ、第2位は両方を弾きこなすポーランドのピオトル・パヴラク、第3位はアンジー・チャンとヨンフアン・チョン、唯一のピリオド楽器奏者ファイナリストのマルティン・ヌバウアーは入賞せず、という結果になりました。

    この結果に不満を感じた方も多かったようですが、短期間の準備でピリオド楽器を弾きこなしたエリック・グオの優勝に私は納得しました。ピリオド楽器コンクールとはいえ、やはり「ショパン」という作曲家の名前を冠したコンクールですから、奇抜さよりも、まずはショパン弾きを求めていると思われます。

    エリック・グオは、必要の範囲内でショパンのヴァリアントを選択して、深く楽譜を読み込んでいることを示しましたし、ファイナルの《ピアノ協奏曲》でも素晴らしいアンサンブル力を発揮しました。結局のところは「総合的なバランス」が評価されたように思います。

    しかしこのコンクールはまだ2回しか行われていません。

    第3回、第4回と続いていく中で、何が求めているのかが分かってくるのだと思います。

  • ショパンコンクールのプログラムは、今ではポーランド国立フリデリク・ショパン研究所のウェブサイトでも購入することができる場合もありますが、

    基本的にコンクールの会期内に会場でのみ販売されます。

    過去のプログラムはワルシャワの古書店などを探し歩く以外に入手の方法はありません。古書サイトもほとんどの場合国際郵便に対応していません。そのため、私はワルシャワに行く度に、古書店を探し回り、ポーランドの古書サイトで日本で購入しておき、ワルシャワのホテルに宿泊する際にホテルの住所と滞在期間を記して、ホテルで受け取るという方法でプログラムを集めました。本ブログでは、私が集めたプログラムを順に紹介していきます。

    ⑮ショパンの歌曲《願い》

    ピリオド楽器・ショパンコンクール

    ピアノ曲がほとんどのショパンの作品の中で、歌曲が歌われるきかは少ない。しかし、明治期から昭和初期にかけて、広く親しまれていた。幾度も形を変えて(旋律は変わらない、タイトルや出版形態が変わる)出版された。

    雑誌『音楽新報』第4巻第9号(明治40(1907)年9月)

    第1曲《願い》 Życzenie(ドイツ語ではMädchens Wunschと翻訳された)歌詞の一部がタイトルになっている

    雑誌『音楽界』第2巻第2号(明治42(1909)年2月)

    タイトルが「乙女の願ひ」に代わる(ドイツ語訳による)

    近藤朔風は近藤逸五郎のペンネーム

    『音楽新楽譜』第4集(明治41年分)(明治42(1909)年2月)

    第1曲《願い》Życzenie

    1番の歌詞はほぼ創作、2番は翻訳

    『名曲新集』(明治42(1909)雑誌『音楽界』第2巻第2号(明治42(1909)年2月)掲載の2作品を収録

    雑誌『音楽新楽譜』第243号(大正11(1922)年1月)

    『音楽新楽譜』第4集(明治41年分)(明治42(1909)年2月)のヴァージョンが復活 作詞者名も本名のまま

    セノオ楽譜459番(昭和2(1927)年6月)

    雑誌掲載ではなく、ピース形態として出版される

    ※本ページに掲載した資料はいずれも著者個人蔵です。

    ピリオド楽器コンクールでは、ピアノの選択と選曲が合っているか、ショパンの時代の演奏様式にいかに近づくか、ショパンが書いたヴァリアントをいかに自然に表現、するか、ということにはじまり、さまざまな楽器の《響かせ方、など、多角的な視点で審査されますから、現代のピアノで演奏する伝統的なショパン・コンクールとは全く違います。しかし、即興的な前奏や「つなぎ」、装飾音の付加など、あらゆる点で、ショパン演奏の真髄とは何か、ということを一から考え直す良い機会となります。

    楽器の音も現代のピアノのように多きくありませんから、自然と耳を澄まして聴くことになります。第1回ピリオド楽器コンクールでは、第1位がポーランドのトマシュ・リッテル、第2位が、日本の川口成彦氏となり、ファイナリストのミトリー・アブロギンを含め、ピリオド楽器奏者で争われました。川口成彦氏がこのコンクールで第2位に入賞し、その後、日本各地でピリオド楽器による演奏会を開催したことにより、それまでは日本では聴く機会が少なかったピリオド楽器の演奏が、日本でも一気に増えました。筆者も川口成彦氏の演奏によってピリオド楽器の魅力を知った聴衆の一人です。

    第2回は、ピリオド楽器奏者よりも現代のピアノを弾くピアニストの参加が多く、第1回とは全く違う様相となりました。

    筆者は第2回を現地で聴きましたが、現代のピアノを弾くピアニストが、ピリオド楽器の取り扱いを勉強してコンクールに挑む姿勢に感銘を受けました。楽器の取り扱い、響かせ方は、もちろんピリオド楽器奏者の方が上手いですが、ピリオド楽器奏者ほど暗譜に弱かったり、大きな事故を起こす傾向がありました。現代のピアノを弾くピアニストはコンクールに慣れているからか、暗譜の不安を感じさせないですし、単純にテクニックはピリオド楽器奏者よりも上です。

    結果として、第1位は現代のピアノを弾くピアニストの一人、エリック・グオ、第2位は両方を弾きこなすポーランドのピオトル・パヴラク、第3位はアンジー・チャンとヨンフアン・チョン、唯一のピリオド楽器奏者ファイナリストのマルティン・ヌバウアーは入賞せず、という結果になりました。

    この結果に不満を感じた方も多かったようですが、短期間の準備でピリオド楽器を弾きこなしたエリック・グオの優勝に私は納得しました。ピリオド楽器コンクールとはいえ、やはり「ショパン」という作曲家の名前を冠したコンクールですから、奇抜さよりも、まずはショパン弾きを求めていると思われます。

    エリック・グオは、必要の範囲内でショパンのヴァリアントを選択して、深く楽譜を読み込んでいることを示しましたし、ファイナルの《ピアノ協奏曲》でも素晴らしいアンサンブル力を発揮しました。結局のところは「総合的なバランス」が評価されたように思います。

    しかしこのコンクールはまだ2回しか行われていません。

    第3回、第4回と続いていく中で、何が求めているのかが分かってくるのだと思います。

  • ショパンコンクールのプログラムは、今ではポーランド国立フリデリク・ショパン研究所のウェブサイトでも購入することができる場合もありますが、

    基本的にコンクールの会期内に会場でのみ販売されます。

    過去のプログラムはワルシャワの古書店などを探し歩く以外に入手の方法はありません。古書サイトもほとんどの場合国際郵便に対応していません。そのため、私はワルシャワに行く度に、古書店を探し回り、ポーランドの古書サイトで日本で購入しておき、ワルシャワのホテルに宿泊する際にホテルの住所と滞在期間を記して、ホテルで受け取るという方法でプログラムを集めました。本ブログでは、私が集めたプログラムを順に紹介していきます。

    ⑬ショパン国際ピリオド楽器コンクール

    ピリオド楽器・ショパンコンクール

    伝統的な本家のショパン・コンクールでは、現代のピアノで演奏されるが、

    ピリオド楽器コンクールでは、ショパンが活きていた時代のピアノが使用される。

    ショパンが好んで演奏したと言われるプレイエルやエラール、ブッフホルツに加え、ブロードウッド、グラーフから楽器を選択しなければならない。さらにウィーン式アクションのブッフホルツかグラーフのいずれかと、イギリス式アクションのピアノを混ぜなければならない。そのため、楽器に関する知識や、微細なコントロールが試される。しかし、参加者は古楽器奏者だけではなく、現代のモダンピアノを中心に演奏するピアニストも多く挑戦する。それはやはり、ショパンの名前を冠したコンクールであり、ショパンコンクールの主催者である。ポーランド国立フリデリク・ショパン研究所が主催するからであり、このコンクールで認められれば、ショパン弾きとして認められることにつながるからだろう。

    第二回ピリオド楽器コンクールの入賞者発表の瞬間

    優勝したエリック・グオと、第3位のアンジー・チャン

    手形を取られるエリック・グオ

    コンクール後に東京で行われたガラ・コンサートのための記者会見

    本家のショパン・コンクールの方に注目が集まりがちではあるが、ピリオド楽器コンクールも見逃せない。

    ピリオド楽器コンクールでは、ピアノの選択と選曲が合っているか、ショパンの時代の演奏様式にいかに近づくか、ショパンが書いたヴァリアントをいかに自然に表現、するか、ということにはじまり、さまざまな楽器の《響かせ方、など、多角的な視点で審査されますから、現代のピアノで演奏する伝統的なショパン・コンクールとは全く違います。しかし、即興的な前奏や「つなぎ」、装飾音の付加など、あらゆる点で、ショパン演奏の真髄とは何か、ということを一から考え直す良い機会となります。

    楽器の音も現代のピアノのように多きくありませんから、自然と耳を澄まして聴くことになります。第1回ピリオド楽器コンクールでは、第1位がポーランドのトマシュ・リッテル、第2位が、日本の川口成彦氏となり、ファイナリストのミトリー・アブロギンを含め、ピリオド楽器奏者で争われました。川口成彦氏がこのコンクールで第2位に入賞し、その後、日本各地でピリオド楽器による演奏会を開催したことにより、それまでは日本では聴く機会が少なかったピリオド楽器の演奏が、日本でも一気に増えました。筆者も川口成彦氏の演奏によってピリオド楽器の魅力を知った聴衆の一人です。

    第2回は、ピリオド楽器奏者よりも現代のピアノを弾くピアニストの参加が多く、第1回とは全く違う様相となりました。

    筆者は第2回を現地で聴きましたが、現代のピアノを弾くピアニストが、ピリオド楽器の取り扱いを勉強してコンクールに挑む姿勢に感銘を受けました。楽器の取り扱い、響かせ方は、もちろんピリオド楽器奏者の方が上手いですが、ピリオド楽器奏者ほど暗譜に弱かったり、大きな事故を起こす傾向がありました。現代のピアノを弾くピアニストはコンクールに慣れているからか、暗譜の不安を感じさせないですし、単純にテクニックはピリオド楽器奏者よりも上です。

    結果として、第1位は現代のピアノを弾くピアニストの一人、エリック・グオ、第2位は両方を弾きこなすポーランドのピオトル・パヴラク、第3位はアンジー・チャンとヨンフアン・チョン、唯一のピリオド楽器奏者ファイナリストのマルティン・ヌバウアーは入賞せず、という結果になりました。

    この結果に不満を感じた方も多かったようですが、短期間の準備でピリオド楽器を弾きこなしたエリック・グオの優勝に私は納得しました。ピリオド楽器コンクールとはいえ、やはり「ショパン」という作曲家の名前を冠したコンクールですから、奇抜さよりも、まずはショパン弾きを求めていると思われます。

    エリック・グオは、必要の範囲内でショパンのヴァリアントを選択して、深く楽譜を読み込んでいることを示しましたし、ファイナルの《ピアノ協奏曲》でも素晴らしいアンサンブル力を発揮しました。結局のところは「総合的なバランス」が評価されたように思います。

    しかしこのコンクールはまだ2回しか行われていません。

    第3回、第4回と続いていく中で、何が求めているのかが分かってくるのだと思います。

  • ショパンコンクールのプログラムは、今ではポーランド国立フリデリク・ショパン研究所のウェブサイトでも購入することができる場合もありますが、

    基本的にコンクールの会期内に会場でのみ販売されます。

    過去のプログラムはワルシャワの古書店などを探し歩く以外に入手の方法はありません。古書サイトもほとんどの場合国際郵便に対応していません。そのため、私はワルシャワに行く度に、古書店を探し回り、ポーランドの古書サイトで日本で購入しておき、ワルシャワのホテルに宿泊する際にホテルの住所と滞在期間を記して、ホテルで受け取るという方法でプログラムを集めました。本ブログでは、私が集めたプログラムを順に紹介していきます。

    ①ショパン国際ピアノ・コンクールの歴史第1回から第3回

    ピリオド楽器・ショパンコンクール

    コンクール設立の背景

    ・第一次世界大戦終戦 1918年(大正7年)、ポーランドが国家として独立を回復、グナツィ・ヤン・パデレフスキ(1860年– 1941)が首相に就任、芸術・文化省を置く。→民族意識の高揚。

    フリデリク・ショパン音楽学校教授のイェジ・ジュラヴレフJerzy Żurawlewがフランス音楽と考えられていたショパンの音楽をポーランドに取り戻して愛国心を鼓舞しようと考え、サッカーの試合をモデルにしてコンクールの創設を考案。

    ポーランド楽派の流れ

    ショパン(1810-1849)

    弟子:カロル・ミクリ(1821-1897)

    孫弟子:アレクサンデル・ミハウォフスキ

    (1851-1938)

    ・ワルシャワ音楽協会主催

    ・ショパン高等音楽院校長、ワルシャワ音楽協会会長ヴィトルド

    ・マリシェフスキが審査委委員長、ショパン高等音楽院教授を中心  

     に実行委員会・審査員が組織される。

    ショパンの孫弟子の更に弟子の世代がショパン高等音楽学校の教授に

    ショパンの孫弟子の更に弟子の世代がショパン高等音楽学校の教授に

    lユゼフ・トゥルチンスキJozéf Turczyński

    l校長ヴィトルド・マリシェフスキWitold Maliszewskiワルシャワ音楽協会会長

    lビグニェフ・ジェヴィエツキbigniew Drzewiecki

    第一回大会1927年1月第1回大会開催8か国26人参加

    ピアノ:スタインウェイ、ベヒシュタイン、ベーゼンドルファー、

    プレイエル

    1位 レフ・オボーリン ソ連

    2位 スタニスワフ・シュピナルスキ  ポーランド

    ドミトリー・ショスタコーヴィチが参加、入賞せず

    第2回大会1932年3月開催18か国89人参加(200人以上が応募)

    ピアノ:スタインウェイ、ベヒシュタイン、ベーゼンドルファー、プレイエル

    1位 アレクサンダー・ウニンスキー パリ

    art_radio=1

    2位 イムレ・ウンガール(ハンガリー)

    3位 ボレスラフ・コン(ポーランド)https://www.youtube.com/watch?v=WvoqBE2DXuA&list=RDWvoqBE2DXuA&start_radio=1

    4位 アブラムルーフェル(ソビエト)

    3回大会アジアからはじめて原智恵子と甲斐美和が参加

    第3回大会と第4回大会の間に第二次世界大戦開戦

    1942年開催予定の第4回大会は延期

    第4回大会 1949年9月~10月(ショパン没後100周年)

    開催

    14か国 54人参加

    フィルハーモニーホールが壊滅したため、ローマ会館ホールを使用

     

    第1位ハリーナ・チェルニー=ステファンスカ (ポーランド)

    第1位ベラ・ダヴィドヴィチ (ソビエト)

    第2位 バルバラ・ヘッセ=ブコフスカ (ポーランド)

    ショパン国際ピアノ・コンクールの歴史
    優勝すればスターに

    第5回大会 1955年2月~10月2月から3月にかけて開催)

    開催

    14か国 54人参加

    フィルハーモニーホール再建

    第1位 アダム・ハラシェヴィチ (ポーランド)

    第2位 ウラディーミル・アシュケナージ (ソビエト)

    第3位 ー・ツォン 中国

    第10位 田中希代子DVD『ワルシャワの覇者第27巻「アダムアダム・ハラシェヴィチ ショパンを語る」

    第6回大会 1960年2月~2月~3月にかけて開催(ショパン生誕150年)

    開催

    30か国 77人参加

    フィルハーモニーホール再建

    第1位 マウリツィオ・ポリーニ (イタリア)

    第2位 イリーナ・ザリツカヤ (ソビエト)

    日本人  小林仁 池田洋子、井内澄子

    第7回大会 1965年~10月に開催(この年から10月開催に、誕生日⇒命日)

    28か国 80人参加

    第1位 マルタ・アルゲリッチ (アルゲリッチ)

    第4位 内中村紘子 (日本)

    第8回大会 1970年から10月に開催(この年から10月開催に、誕生日⇒命日)

    28か国 80人参加

    第1位 ギャリック・オールソン (アメリカ合衆国)

    第2位 内田光子 (日本)

    第9回大会 1975年~10月に開催

    30か国 128人参加

    第1位 クリスティアン・ツィメルマン (ポーランド)

    第10回大会 1980年10月に開催

    30か国 128人参加

    第1位 ダン・タイ・ソン (ベトナム)

    第5位 海老彰子 (日本)

    ピリオド楽器コンクールでは、ピアノの選択と選曲が合っているか、ショパンの時代の演奏様式にいかに近づくか、ショパンが書いたヴァリアントをいかに自然に表現、するか、ということにはじまり、さまざまな楽器の《響かせ方、など、多角的な視点で審査されますから、現代のピアノで演奏する伝統的なショパン・コンクールとは全く違います。しかし、即興的な前奏や「つなぎ」、装飾音の付加など、あらゆる点で、ショパン演奏の真髄とは何か、ということを一から考え直す良い機会となります。

    楽器の音も現代のピアノのように多きくありませんから、自然と耳を澄まして聴くことになります。第1回ピリオド楽器コンクールでは、第1位がポーランドのトマシュ・リッテル、第2位が、日本の川口成彦氏となり、ファイナリストのミトリー・アブロギンを含め、ピリオド楽器奏者で争われました。川口成彦氏がこのコンクールで第2位に入賞し、その後、日本各地でピリオド楽器による演奏会を開催したことにより、それまでは日本では聴く機会が少なかったピリオド楽器の演奏が、日本でも一気に増えました。筆者も川口成彦氏の演奏によってピリオド楽器の魅力を知った聴衆の一人です。

    第2回は、ピリオド楽器奏者よりも現代のピアノを弾くピアニストの参加が多く、第1回とは全く違う様相となりました。

    筆者は第2回を現地で聴きましたが、現代のピアノを弾くピアニストが、ピリオド楽器の取り扱いを勉強してコンクールに挑む姿勢に感銘を受けました。楽器の取り扱い、響かせ方は、もちろんピリオド楽器奏者の方が上手いですが、ピリオド楽器奏者ほど暗譜に弱かったり、大きな事故を起こす傾向がありました。現代のピアノを弾くピアニストはコンクールに慣れているからか、暗譜の不安を感じさせないですし、単純にテクニックはピリオド楽器奏者よりも上です。

    結果として、第1位は現代のピアノを弾くピアニストの一人、エリック・グオ、第2位は両方を弾きこなすポーランドのピオトル・パヴラク、第3位はアンジー・チャンとヨンフアン・チョン、唯一のピリオド楽器奏者ファイナリストのマルティン・ヌバウアーは入賞せず、という結果になりました。

    この結果に不満を感じた方も多かったようですが、短期間の準備でピリオド楽器を弾きこなしたエリック・グオの優勝に私は納得しました。ピリオド楽器コンクールとはいえ、やはり「ショパン」という作曲家の名前を冠したコンクールですから、奇抜さよりも、まずはショパン弾きを求めていると思われます。

    エリック・グオは、必要の範囲内でショパンのヴァリアントを選択して、深く楽譜を読み込んでいることを示しましたし、ファイナルの《ピアノ協奏曲》でも素晴らしいアンサンブル力を発揮しました。結局のところは「総合的なバランス」が評価されたように思います。

    しかしこのコンクールはまだ2回しか行われていません。

    第3回、第4回と続いていく中で、何が求めているのかが分かってくるのだと思います。

  • ショパンコンクールのプログラムは、今ではポーランド国立フリデリク・ショパン研究所のウェブサイトでも購入することができる場合もありますが、

    基本的にコンクールの会期内に会場でのみ販売されます。

    過去のプログラムはワルシャワの古書店などを探し歩く以外に入手の方法はありません。古書サイトもほとんどの場合国際郵便に対応していません。そのため、私はワルシャワに行く度に、古書店を探し回り、ポーランドの古書サイトで日本で購入しておき、ワルシャワのホテルに宿泊する際にホテルの住所と滞在期間を記して、ホテルで受け取るという方法でプログラムを集めました。本ブログでは、私が集めたプログラムを順に紹介していきます。

    ⑪ショパンと彼のヨーロッパ」音楽祭

    ピリオド楽器・ショパンコンクール

    ショパン国際ピアノ・コンクールは5年に一度であるがポーランドでは、毎年「ショパンと彼のヨーロッパ」音楽祭が開催されている。

    ショパン国際ピアノ・コンクールの入賞者をはじめ、注目を集めるピアニストのコンサートが連日行われるので、とても楽しい。

    聖十字架教会にて

    プログラムも豪華

    2023年にケヴィン・チェンがリサイタルを行った時の看板

    終演後にインタビューし、お写真をご一緒させていただきました。

    ピリオド楽器のコンサートも多数。

    ギター編曲の《ピアノ協奏曲》も演奏。

    編曲したイェジー・ケーニッヒ氏と共に

    終演後は多くの場合にサイン会が行われる

    ピリオド楽器コンクールでは、ピアノの選択と選曲が合っているか、ショパンの時代の演奏様式にいかに近づくか、ショパンが書いたヴァリアントをいかに自然に表現、するか、ということにはじまり、さまざまな楽器の《響かせ方、など、多角的な視点で審査されますから、現代のピアノで演奏する伝統的なショパン・コンクールとは全く違います。しかし、即興的な前奏や「つなぎ」、装飾音の付加など、あらゆる点で、ショパン演奏の真髄とは何か、ということを一から考え直す良い機会となります。

    楽器の音も現代のピアノのように多きくありませんから、自然と耳を澄まして聴くことになります。第1回ピリオド楽器コンクールでは、第1位がポーランドのトマシュ・リッテル、第2位が、日本の川口成彦氏となり、ファイナリストのミトリー・アブロギンを含め、ピリオド楽器奏者で争われました。川口成彦氏がこのコンクールで第2位に入賞し、その後、日本各地でピリオド楽器による演奏会を開催したことにより、それまでは日本では聴く機会が少なかったピリオド楽器の演奏が、日本でも一気に増えました。筆者も川口成彦氏の演奏によってピリオド楽器の魅力を知った聴衆の一人です。

    第2回は、ピリオド楽器奏者よりも現代のピアノを弾くピアニストの参加が多く、第1回とは全く違う様相となりました。

    筆者は第2回を現地で聴きましたが、現代のピアノを弾くピアニストが、ピリオド楽器の取り扱いを勉強してコンクールに挑む姿勢に感銘を受けました。楽器の取り扱い、響かせ方は、もちろんピリオド楽器奏者の方が上手いですが、ピリオド楽器奏者ほど暗譜に弱かったり、大きな事故を起こす傾向がありました。現代のピアノを弾くピアニストはコンクールに慣れているからか、暗譜の不安を感じさせないですし、単純にテクニックはピリオド楽器奏者よりも上です。

    結果として、第1位は現代のピアノを弾くピアニストの一人、エリック・グオ、第2位は両方を弾きこなすポーランドのピオトル・パヴラク、第3位はアンジー・チャンとヨンフアン・チョン、唯一のピリオド楽器奏者ファイナリストのマルティン・ヌバウアーは入賞せず、という結果になりました。

    この結果に不満を感じた方も多かったようですが、短期間の準備でピリオド楽器を弾きこなしたエリック・グオの優勝に私は納得しました。ピリオド楽器コンクールとはいえ、やはり「ショパン」という作曲家の名前を冠したコンクールですから、奇抜さよりも、まずはショパン弾きを求めていると思われます。

    エリック・グオは、必要の範囲内でショパンのヴァリアントを選択して、深く楽譜を読み込んでいることを示しましたし、ファイナルの《ピアノ協奏曲》でも素晴らしいアンサンブル力を発揮しました。結局のところは「総合的なバランス」が評価されたように思います。

    しかしこのコンクールはまだ2回しか行われていません。

    第3回、第4回と続いていく中で、何が求めているのかが分かってくるのだと思います。